知覧特攻平和会館

 

 

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知覧特攻平和会館
1941年に始まった第二次世界大戦。1945年に日本の同盟国であったドイツが降伏すると、アメリカを中心とする連合軍の攻勢は日本だけに集中するようになり、日本全土が苦戦を強いられるようになりました。米軍主力が沖縄南西にある慶良間列島に上陸すると、当時
の日本政府は沖縄を本土の最前線と考えていたので、沖縄を守るために「特攻作戦」ができました。特攻作戦とは、重さ250kgの爆弾を装着した戦闘機で敵の艦船に体当たりして沈める、パイロットは必ず“死ぬ”という作戦でした。この作戦には知覧基地を始め、宮崎県の都城など九州の各地、そして当時日本が統治していた台湾など多くの基地から出発していますが、知覧基地が本土最南端だったこともあり、最も多く、全特攻戦死者1036名のうち、439名、半数近くが知覧基地から出撃しています。圧倒的な物的戦闘力に勝るアメリカの進攻を阻止する日本軍としては、兵士一人一人の精神力を武器とした特攻戦法しかないとの結論に達したのでした。知覧にある「知覧特攻平和会館」には、隊員の当時の真の姿、遺品や記録が残されていて、当時のことを深く知ることで、多くのことを感じることができます。

http://www.chiran-tokkou.jp/

写真提供:公益社団法人 鹿児島県観光連盟

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